『量子の宇宙でからみあう心たち』-(4)‐量子力学的理論

【6】超心理現象はいかにして起きるか-究極の説明を求めて

 

・信号伝達理論

信号伝達理論は、電波がラジオの音声を運ぶように、ある種の物理的な波が超心理情報を運ぶとするものである。長い間、この理論はテレパシーの主要な説明であった。というのは、脳が電磁場を発生すること、電磁波が光速で情報を伝えることが、知られていたからである。1899年、物理学者のJ・J・トムソン卿は、英国科学振興協会の講演で、電磁波がテレパシーの物理的運び手になるかもしれないと提唱した。アプトン・シンクレアの著書の題名『メンタル・ラジオ』は、信号伝達モデルの興隆を例示している。

信号伝達理論の最大の問題は、電磁波などの物理的場はどれも、距離におうじて急速に強度が落ちることである。超心理が通常の物理的場で媒介されているとすれば、その正確さは距離が遠くなると急に低下すると予想される。しかし、超心理体験は、厳重な電磁シールドルームでも、はるか遠くであっても、それほど大きな正確さの低下は見られない。だからといって、距離の問題が完全に決着しているわけではない。距離は、状況によってなんらかの影響をおよぼしているようである。

例外的に、極低周波(300~1000ヘルツの電磁波)は、高い周波数であると吸収されたり遮蔽されたりする障壁をも透過し、長距離にわたって強度が維持される。1960年代に、ロシアの物理学者Ⅰ・M・コーガンが、テレパシーは極低周波によって運ばれると主張した。しかし、それでも次の大問題がある。超心理現象は明らかに時間を超えたところがある。ミリ秒から数か月以上までの未来が、前もって感知される。こうした生活場面や実験で見られる予知効果の説明には、電磁波などの信号伝達理論では根本的な限界がある。さらに「過去知」(予知の反対で、過去の未知のできごとを感知すること)の説明も難しい。信号伝達理論の中には、タキオン(仮説上の超高速粒子)、反物質(時間を逆行すると解釈される粒子)、ニュートリノ、重力子などにもとづく説も含まれる。しかし残念ながら、こうした理論が予測する効果は、どれも通常の時問や空間の制約を超えられない。加えて、透視やテレパシーの情報を運ぶ波が脳に届いたあと、その波から「どのように情報をひき出すか」が説明されていないのである。

 

・量子力学的理論

①観測理論

超心理の観測理論は、1970年代の初頭に提案された。量子波動の非局所的性質と、超心理現象の時空間から独立した性質のあいだに、類似性が見いだされたことに端を発する。加えて、物理的実在において心が重要な役割をはたす可能性を提起する、量子観測問題もそれに輪をかけた。この理論は、ノーベル賞受賞学者のジョン・エクルズやユージン・ウィグナー、神経科学者ワイルダー・ペンフィールドや数学者ジョン・フォン・ノイマンらの意見とも合致するところがある。ウィグナーは、物理学の対称性にかんする独自の議論のなかで、心に対する物の作用があるなら、「物に対する心の直接作用」もあるにちがいない、と断言した。こうした急進的な考えは、古典的な用語だけで実在を理解したい伝統主義者をおびやかした。たとえば、2005年1月号の『サイエンティフィック・アメリカン』のコラムでは、懐疑論者のマイケル・シャーマーが、実在の形成に心が一役かう量子論解釈にうろたえて、「量子のたわごと」と揶揄した。シャーマーはきっと、物理学者のベルナー・デスパーニャが同誌の1979年9月号で、次の量子論解釈を述べているのを見落としたにちがいない。「人間の意識から独立して存在する物体だけで世界ができているという学説は、量子力学と実験的事実の両方に反していると、けっきょく判明したのである。」

数多くの研究者が、超心理の観測理論に貢献した。最初の定式化は、物理学者エヴアン・ハリス・ウォーカーが、もうひとつの初期のものは、物理学者へルムート・シュミットが提案した。それらの理論はみな、量子的事象に対する観測行為が、その挙動に確率的影響を与えると想定している。観測理論は途方もない予測を導くので、とりわけ興味探い。ランダムなデータ信号を、誰も見ていないうちに、自動的にコンピュータのディスクに書きこみ、不確定状態のままにしておけば、誰かが観測したあとでデータが確定するのである。この予測によれば、事前に記録した観測されていないデジタル信号のビットに対して、1を念じたり0を念じたりする念力実験が可能となる(もちろん、どちらを念じるかは記録のあとに決定されねばならない)。この「過去遡及的PK」実験は成功し、観測行為が「過去にさかのぼって」影響するという、量子論の予測と一致した。風変わりな時間逆行効果を予測し、それが首尾よく確かめられたことから、観測理論は、予測の検証された最初の超心理理論となった。

②情報システムモデル

物理学者で心理学者でもあるウォルター・フォン・ルカドゥは、量子論の原則を一般化して複雑なシステムにも適用できないかと考えた。量子論は、素粒子から宇宙まで広い対象物の観測結果を正確に説明するのだから、量子論の原則を、情報と空間と時間の関係に拡張して適用してもいいのではないか、というわけである。

ルカドゥのモデルでは、システムの規模や複雑さにかかわらず、その「構造」と「機能」が相補的になっている。つまり、システムがどのように構成されているかと、どのようにふるまうのかが、たんなる相互連係を超えて深くからみあっているのである。この相補性から、彼はハイゼンベルクの不確定性原理に似た原理を提唱する。ルカドゥの不確定性関係は、情報の「意義」(「語用論的情報」と呼ばれる)に依存している。そして、構造と機能が同時に特定できない特性を仮定し、それによって導かれる非局所的な関係から超心理現象が発生するとされる。[ルカドゥ理論の超心理学的意義などについては、『超常現象のとらえにくさ』春秋社の第30章に収録された彼の論文参照。]

③弱い量子論

フォン・ルカドゥと似たアプローチで、心理学者のハラルド・ワラックは、超心理の理解のために「からみあいの拡張」を提唱した。この概念は、プリンストンの研究者ロバート・ジャンとブレンダ・ダンの提案の拡張である。彼らは量子論の創始者であるニールス・ボーアらが、自然の構成原理に心理学的領域までにも相補性があると、しばしば述べていることに注目したのである。[ジャン&ダン『実在の境界領域』技術出版]

2002年の『ファウンデーションズ・オヴ・フィジックス』誌でワラックは、物理学者のハラルド・アトマンシュバヒャーとハートマン・ローマーとともに、心理療法の転移を例にして「弱い量子論」を展開している。転移とは、クライアントが自分の問題をセラピストに向けることである(セラピストが自分の問題をクライアントに向ける、逆転移も知られている)。クライアントが意識的には見えていない自分の人生の諸相が、セラピストの思考にしばしば現れる。そのような「精神状態のからみあい」が、弱い量子論によって相補性から予測できるという。他の相補関係と同様、クライアントとセラピストのからみあいに生じる不確定性が、非局所的つながりを生み出しているとする。 

弱い量子論はさらに、次のような組み合わせに、相補的関係が起きる可能性を指摘している。質量とエネルギー、時問と空間、波と粒子、場と量子、実数と虚数、ゼロと無限、分析と総合、有機物と無機物、そしてより一般的には、部分と全体である。

④ボームの暗在系/明在系

アインシュタインの薫陶を受けた物理学者デイヴィツド・ボームは、量子論が私たちの経験よりも深い実在の存在を示していると感じた。彼は、それを「暗在系(内蔵秩序)」と呼び、時空間や物質、エネルギーなどの概念を超えた、「不可分な全体品的領域」を明示しようとした。暗在系においては、すべてが畳みこよれており、おたがいにからみあっている。対照的に「明在系」は、日常的に観察される世界で、暗在系から現れ出る常識的領域である。

ボームは、全体情報が暗在系に畳みこまれる仕組み、逆に言えば、暗在系のどの部分であっても全体を反映する仕組みを、ホログラムを比喩にして説明した。この視点から暗在系は人間の経験に次のように現われるという。

たとえば、個々の人間を他の人問や自然と作用しあう独立した実在と考えることは究極的にひとを誤らせるだけでなく、その考え自体が誤っているのである。むしろ、それらはみな単一の総体の射影なのである……なぜなら内蔵秩序にあたっては、心は物質一般を包み込んでおり、したがって心はその特殊な場合としての身体を包み込んでいると言わねばならぬと同時に、身体は心を包み込んでいるばかりでなく、あるいみで全物質界を包み込んでいると言わねばならぬからである……じっさいに生じていることを不足なく説明しようとすれば、少なくとも当の身体以外の物質まで含めねばならないことは明らかである。そして最終的には他の人びとを、社会を、さらに一つの全体としての人類をも含めねばならない。……[『全体性と内蔵秩序』井上忠・伊藤震・佐野正博訳、青土社、349-351ページより]

神経学者カール・プリプラムは、ポームの量子ホログラム的実在に類似した概念を独自に提唱し、脳のプロセスに適用した。脳の構造と機能を解明するにあたってプリプラムは、脳の記憶特性が光学ホログラムの機能と似ていることに着目した。光学ホログラムは脳のようにダイナミックではないが、と前置きしたうえで、プリプラムは次のように述べている。

 脳のなかで、億万個にものぼる神経細胞間で活動電位がとびかっているのをみると、深い量子レベルのプロセスと同様のことが起きているのではないかと思う。・・・・この見方がほんとうに正しいとすると、量子的現象が、私たちの生理学的プロセスや神経システム全体にまで適用できるだろう。すると、人々が心霊体験と呼んできた経験についても、おそらく同様の説明がなされるだろう。なぜなら、心霊体験の記述は、量子力学の描像とかなり似ているからである。

ふたつのホログラム概念は、作家マイケル・タルポットの『ホログラフィック・ユニヴァース』[春秋社より邦訳あり]によって広く知られるようになった。タルポットは・ボームの概念とプリプラムの概念をあわせると、かなり広い範囲の超常体験や心霊体験を説明できるのではないかと論じた。同様の提案は心理学者ケン・ウィルバーの編著書でも議論されている[『空像としての世界』青土社、および『量子の公案』工作舎]。今やホログラム概念は、天文学者によって宇宙の構造の数学モデルにも使用されている。また「量子ホログラム」(量子波動の干渉特性にもとづいた自己参照システム)も注目を集めている。米国物理学研究所のWEB記事(2001年)に次のくだりがあった。

擬似科学のおしゃべりのなかでは、第3の目とか遠隔視などという用語で、イカサマ師が想定する、隠れた物体を見るという超能力が語られている。それに対して「量子ホログラフィー」は、現代物理学にしっかり基礎をおいた方法であり、からみあった光子を使い、隠れた物体の撮像を実現可能にするのである。行間を読むと、米国物理学研究所は、超心理の概念にいくぶん偏見をもっているようである。こうした記事を目にすると、実在の本質についてよりも、大衆のイメージについてやるべきことが多くあるように思われる。

⑤スタップーノイマンの理論

1932年、ハンガリーの卓越した数学者ジョン・フォン・ノイマンは、量子論の基礎を堅固な数学的基盤のうえに載せた。以来、彼の定式化は、量子論の正統的な「心臓部」とみなされている。ノイマンの解釈では、コペンハーゲン解釈と同様に、量子論が記述するのは「実在」自体でなく、観測者の「認識」であり、観測されるものと観測機器はともに全体システムの一部である、と考える。アメリカの物理学者ヘンリー・スタップは、最近ノイマンの解釈を精緻化した。このスタップーノイマンの理論では、量子観測システムの主要素が観測者と観測者がもつ知識であることに着目し、心が量子的実在に不可分に組みこまれていると想定する。これは超心理の理論として提案されたのではないが、この理論から超心理が自然に結論される。その点を見ていこう。スタップは、ノイマンの解釈の利点は、古典物理学で意識を理解するにともなう限界を打破した点にある、と主張する。局所的実在と機械原理にもとづく古典的仮説に従えば、脳にしろどんな物理システムにしろ、機械仕掛けの物体にすぎない。機械仕掛けは意識的でないのだから、「私」と呼ばれるものは、機械の複雑な部品から発生する特徴にとどまらざるをえない。ならば、私たちの意識感や、バラの匂いの感じもみな幻覚ということだ(この幻覚にしても「誰」に向けた幻覚かが不明だ)。古典物理学の視点からは、今この文章を読んでいる「あなた」も幻覚になってしまう。これはかなり重要な限界であろう。というのは、この文章を読んでいる人々のほとんどは、たぶん自分は存在していると(意識的な心があると)信じているからである。スタップーノイマンの理論は、心を量子観測プロセスに戻してやることで、この問題を解決する。その量子観測プロセスは、プロセスⅠとプロセスⅡの二段階が含まれる。簡単に言えば、プロセスⅠは、心が自然に対して問いかける段階、プロセスⅡは、自然がそれに応答する段階である[フォン・ノイマン『量子力学の数学的基礎』みすず書房]。プロセスⅠは、時空間の制約の「外側」から自然を探る、非局所的プロセスである。それに対してプロセスⅡは、私たちが自然のなかに身をおいて観測するプロセスで、それは通常の時空間に制約される。スタップが言うには、古典物理学と量子物理学の違いは大きい。

 古典物理学の基本要素は、宇宙の天体をちいさくしたような個々のつぶつぶで、私たちが精密に調べでも運動に影響がないとされる。ところが、量子物理学の基本要素は、私たちの意図的行為、その行為の応答、そして物理状態に残るそれらの行為の記録である。

これらは超心理とどのような関係があるのだろうか。おそらく、心と脳は一体の自己観測量子システムであるので、それらが媒体とするものは、ちょうど超心理に相当する特徴をもった非局所的からみあいであると暗示される。脳は、原子のような個別の量子物体にくらべるとかなり巨大である。ならば、心のようなプロセスⅠは、脳の変化する状態とどのように相互作用しているのか。研究者の一部は、神経線経の骨格を作る「微小管」が、脳内の量子効果を維持していると推測する。スタップはむしろ、ハリス・ウォーカーと同様に、微小粒子(イオン)の挙動に敏感に反応しながら活動電位を媒介する「シナプス」(神経線維同士の接合部分にできる空隙)に注目している。シナプス部(ときにナノメートルほどの小さな隙間)に量子の要素が入ると、量子効果が現れる。量子状態になったイオンは、不確定性によって位置が、雲のように「広がっている」ので、近接したシナプス多数のうちの「どのシナプス」で活動電位を媒介するかが、非決定的になる。何兆もの脳の部分でこうした事態がたえまなく起きるとスタップは推測する。そして、非決定的になった量子イオンの挙動の多くが、脳自体によって「観測」され、量子デコヒーレンスのプロセス(環境との相互作用)を通して、イオン粒子としての位置が確定するのだ。脳はそうした処理をえんえんと行なっているのだが、多くの神経科学者は、脳の処理を論じるのに心は必要ないと考えている。しかしスタップは、心の必要性を説く。「脳は温かく湿っており、環境とつねに強く相互作用している。すると、強力な量子デコヒーレンスのプロセスが起きていてもおかしくない。なぜなら、脳全体は、原子・分子から、活動電位のレヴエルまで、多数の可能性が重ね合わさった、ひとつの量子状態に発展しているからである。」ここで意識する心が、この可能性の重ね合わせ状態を、個別の注意感知状態へ確定させるのだ。心がなければ、脳は特定の思考をする器官とはならずに、あれこれ観念が錯綜したカリフラワー状態になってしまう。この路線で行けば、脳でいくつかの有力な可能性が拮抗した状態になっているときに、心が最終的な役割を果たす余地がある。このようにプロセスは、イオンの存在可能性の広がりが確定する際に、イオンが特定のシナプスで作動するよう、寄与すると考えられる。では、この心と脳の一体システムが、いくつかの可能性から、いかにして特定の思考や決定をひき起こすのだろうか。スタップは「量子ゼノン効果」にもとづいた緻密な憶測を提起する[量子ゼノン効果とその応用については、たとえばジョンジョー・マクファデン『量子進化』共立出版を参照]。この効果は、すばやい観測が量子状態を非決定の重ね合わせ状態のままに保つことを予測する(これは実験で確認されている)。スタップは「極端に言えば、たえまない観測によって、ある原子の量子状態を特定のかたちに保っておくことができる。量子状態をちょっと覗いてみるだけで特定の可能性に限定でき、他の可能性に至らないようにできるのだ」と言う。このように、脳のシステムがたえまなく自己観測していれば、量子ゼノン効果によって、ある特定の脳状態を保てる可能性がある。これが、心は注意や意図によって脳を「方向づける」とする、スタップの主張である。この意味で「注意」とは、脳が自身に対して量子ゼノン効果を適用した結果である、と説明できる。同様に「意図」とは、注意をある目的に方向づけることになる。すなわち、量子論的心を説明するスタップーノイマンの理論は、いくつかの可能性のなかから脳の状態を選択するために心があると考える。この理論では、心と脳とが異なった「本質」をもつ必要はない。心は、脳が自己を観測し方向づける機能部分として位置づけられる。ノイマンのプロセスは、心と脳のあいだの二元的連関作用であろうが、心と脳の全体的一体システムのふるまいであろうが、どちらにせよ「非局所的」とみなされる。しかしこの考え方は、ある人間の心と脳が、他人の脳の確率的な状態に(あるいは内臓などの他の臓器や、他の物体の状態にまでも)影響を与え、特定の状態へと選択的に確定させる可能性に扉をひらく。これこそ、超心理へと通じる道なのである。